M-1というシステムは資本の力学に対抗できうるかもしれない

年末恒例のM-1グランプリ。今年も面白かった。一晩で人生が変わるよねって話をしながら、もちろん積み上げてきたものがあるからの栄光ではあるのだけれども、面白いシステムだなと思った。なかなか一晩でいろんなアテンションが集まるのっていうのはなかなかない。オリンピックの個人競技とかなどは近いのかもしれないが。。

M-1の注目度は上がってきた?

一時期のM-1はあんまり見ていなかったけど(休止していたのもあったとはおもうが)、最近また盛り上がりを見せていると思う。それはYouTuberなどのメディアシフトにおいて2010-2017年ほどはテレビ離れもあったとは思うが、逆に霜降りなど含めてYouTuberやメディアをうまくつかいこなしていく芸人が増え、SNSが浸透した結果リアルタイムに感想を共有できあえるこういった賞レースとの相性も良くなっていった結果ではないかと思う。

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M-1というシステムはアテンションを加速させ、社会の老朽化を防ぐかもしれない

このM-1を見ながら、このシステムは社会の老朽化を防ぐ可能性があるかもしれないなと思えた。一晩にして実力があると思われる、若手(年齢的な意味でなくキャリア的な意味で)に着目があたる仕組みというのは、社会がどんどん老朽化していくことに対して良い効果があるのではないかと思えた。

人による審査という仕組み上、もちろんすべてが公平ではないが、成り上がることができるチャンスがあることは非常に稀であるとは思う。YouTubeの登録者数とか数字化されていくことが多い中で、芸1つ・表現で評価されていくことができるのは珍しいシステムだなと思う。

ある種のアテンションを加速する仕組みというものがM-1には内包されているように思える。ただアテンションを加速させるだけであって、実際にどのぐらいそのあとに優勝した芸人が活躍できるかはその人達次第ではある。ただ明らかに加速する装置ではあるとは思う。

このような仕組みというものは、こういったお笑いだけでなく様々な業界で必要なのではないかと思う。なぜならそうしないと資本の力によって、既存のプレイヤーが複利的に強くなっていくことが止められなくなっていくからである。

資本主義は再現性を好む

基本的にこの世界のシステムとしては自分もずっと考えているが資本主義的なシステムで回っている。それが何を意味するかというのを個人的に解釈すれば、ROIが図れることができ、資本を生み出す可能性があるのであれば、そこにお金が流れ続けることができるようになるということだ。

これはVCの世界でもよくスタートアップに対してもコメントする再現性というものの一端だと思う。完璧な再現性なんてないことはわかってはいるものの、説明責任としても何にどういうようにお金を使えば資本を生むのかについて説明してほしい、それを再現性をもってやれるなら資本はついてくるはずだということである。そしてそれを求める。

これは今の世界がこのシステムで回っている以上複利(コンパウンド)が効いてくる。そして扱う規模のお金が増えれば増えるほど再現性から抜け出せなくなってくる。なので例えばテレビを見ても、自分が子供の頃に勝ち抜いた人気な人たちがまだ出続けている。固有名を出す必要はないし、恨みも何もないがネプリーグとかって最近テレビをつけたらまだやっていて、すごい長寿だなと思う。

他のコンテンツを見ていても、例えばスターウォーズはいつまで続くのかというぐらいシリーズは続いているし、インディージョーンズは何歳まで冒険するのか(何歳になっても冒険はしていいけど)ってぐらい続くし、そういった続編コンテンツが増えて言っている。これはすべて再現性であり、資本主義の構造から抜け出せないからだ。

(一方ここにチャンスがあることもある、A24とかはそういったアンチテーゼ的ではあるなともうが、このあたりの話はまた別の記事で書こうと思う。)

オルタナティブの無さはシニシズムを生むのではないか

ではそういう構図が悪いのか?これは難しい問いだと思うが、何をもって悪いのかは難しい。ただすごく簡易な言葉でいうと、面白くはないと思う。特にこれから野心をもって何かを成し遂げたい人には、まったくそのような状況は面白くはないと思う。

今年読んで面白かった本に「いま、なぜ空間は退屈か」という本があるのだけれども、そこも資本主義の弊害として空間が没個性化していることを指摘している。

これも特定の会社が嫌いというわけではないけれども、イオンなどがどこでもあるのは便利だし安心する。しかしそれは個性に溢れた商店街や、個店を潰している可能性がある。便利だがつまらない、そんな世界の構築に資本主義は一役買っていることは事実あると思う。それが悪いわけでもないのが難しいところ。

一方悪いわけではないと書いた一方、そういったオルタナティブの無さというのは息苦しさを感じるようになってくるのではないかと思う。政治においても何においてもオルタナティブが無いことは生きづらい。それはどうせなにも変わりはしないんだよっていうような冷笑的な態度が誘発されてくるのではないかと思う。そのようなシニシズムの空気が日本を覆っている感覚はある。政治はオジサンばかりだし、既得権益でがんじがらめで何もどうせ代わりはしないよ的な態度だ。

アテンションを加速させる装置によって世代交代を促す構造ができる・・かもしれない

本題に戻ると、今回のM-1を見ながらおもったのが、そういった資本主義的な再現性に一つ変化を加えられるやり方だなということを見ていておもったからだ。一夜にして人生が変わるというものは、複利や再現性を求める資本主義的ではない方法だからである。

それを審査員などにすることによってそのアテンションを加速させる正当性的な・Legitimacyな感じもあるのでより一つ面白い仕組みだなともう。アテンションというのは悪用すると炎上商法でも加速させることができるが、それはLegitimacyがない加速のさせ方であると思う。

こうした流れは日プのようなオーディション番組の人気もそういった印象があるのかもしれない。同じ人がずっとでる再現性を求める中で、どのように次のスターや世代交代を図れるかということはもちろんコンテンツを作る側も考えているはずで、その答えがこういった番組や仕組みづくりなのかもしれないと思っている。

一方、そういった権威性をもった審査員が現役である限り、そういった彼ら彼女らの複利性をあげて結局変わらないのではないかということも同時に思ったりもする。しかし、アテンションを加速させることによって、得たチャンスを掴んでどうするかはその人達次第なのかもしれないとも思う。

このような装置が各分野で発明されていけばいいなと思う

スタートアップの世界においても例えばForbes U30みたいなものや、これからのスタートアップ100選みたいなのは意味があると思う。ただForbesが証明しているように、別に選ばれたからといって成功するわけではない。更に芸能と違って企業は明らかに数字があるので、よりアテンションを加速させたところで成功へのチャンスが劇的にもらえるかというとそうではない。

ただ個人的には同じ構造が続くことは面白くはないので、こういったM-1のようなシステムというものが色んな分野で出てくればいいなと思えた。それはアカデミー賞なのかもしれないし、本屋大賞のような表彰制度なのかもしれないし、なにかはわからない

ただ社会としてそういった新しい何か、オルタナティブというものは常に求められているはずでそういったものが残る社会であってほしいなと思うし、そのようなシステムをもっと創りたいなと思う。もしかしたらVCという存在もその1つなのかもしれない。