台風の夜に確かめたこと——ANRI人文奨学金の顔合わせ会から

上記の音声を文字起こしし、AIによる編集・執筆したのが下記です。 金曜の夜、台風が近づくなかで人文奨学金の顔合わせ会をひらいた。全員は揃えなかったけれど、会場には5〜6名、オンラインも交えての小さな円卓。応募は約280、二次30、そして10名を採択。数字だけ見れば淡々としたプロセスだが、初めての年にしては手応えが大きい。なにより、その場の熱量にこちらが鼓舞された。 「閉じている」という実感 話を聞いて強く感じたのは、学術コミュニティの“閉じ”だ。縦のラインが強く、家制度の名残もあり、外からは見えにくい村社会の論理が根深い。スタートアップやVCも閉じた世界だとよく言われるが、比べてみるとアカデミアのほうがよほど硬い壁に囲まれている——そんな印象を受けた。若い研究者が、その壁を越えるためにどれだけのエネルギーを払っているか。今回のプロセス全体を通じて、あらためて身にしみた。 なぜ、

ポスト新自由主義のスタートアップ×政治×宗教 ~破壊でなく設計~

私たちのネオリベ時代 私たちは資本主義の世界を生きている。私もそのど真ん中で、ベンチャーキャピタルという仕事をしている。そして今の資本主義システムの最新バージョンが新自由主義だ。ネオリベラリズムという言葉で表される世界に、今私たちは生きている。 私もその恩恵を受けてきた一人だと思う。新自由主義の「自由」とは本来、経済活動における国家からの自由を意味する。だが、地方に生まれても出身に関係なく、自己努力という個人主義によって選択する自由を手にできた。(もちろん文化資本や様々な優位性があることは承知しているが)市場で競争し、自己責任で生きる自由。この前提があるからこそ、努力やキャリアに向かうことができた。 もしこれが出身や家系で人生が決まる世の中であったら、やる気も起きないし、私も地方から上京しなかっただろう。(同時に、どれだけ努力しても真の平等な競争などないという残酷さも見えてしまうのだが) 新自由主義の本来の意味は、民営化と小さな政府、自由貿易の推進だ。つまり、グローバルな市場万能主義を推し進めることで、世界全体をフラットな競争環境にしていく。比較優位による貿易で世界の生産効率を

観光とは何か──“行かなくても良いのに行くことの意味"

3月に今の仕事をしていて初めてぐらい少しだけ長い休みをとって、ヨーロッパに観光に行った時に考えたことについて書いてみようと思う。GW前にギリギリ間に合ったので、ぜひ観光とか旅みたいなのをいく人たちに少し感じることがあれば嬉しい。 観光と旅 すごい自分はつまらない人間だなと休みを取ろうとして気づく。仕事に関してはやること、やりたいことはある程度出てくるのに、休みになったら自分のことでやりたいことが浮かばない。仕事では「目的→KPI→実行」が呼吸だが、私生活にその回路を適用すると空っぽだと気づく。行きたい国も、こだわりの趣味も思いつかない。セルフケアを忘れた人間。 どこもいきたいところがないなということに気づきどうしようかなと思ったのだけれども、途中から思考を変えることにした。旅行でどこかに行くことが目的ではなく、旅行自体を目的としたらいいのではないかと。そうすることで自分も納得できて、アムステルダム着・パリ発というものだけとって旅行に行くことができた。 何かを目的にしないと動けないのは若干今の資本主義的/ネオリベ的な価値観のように思える。その目的が何か経済的なものに結びつかない

パリ:観光と伝統と生活/ Ogata :JapanとParisの融合

パリは正直三度目だったのであんまり観光というよりは、半分生活っぽく過ごしたというと聞こえがいいが、半日ぐらいカフェで仕事をしたりする日があったりなど比較的ゆるく過ごした。かつ3度目なので初回ほどのピュアな感想が正直書きずらいぐらいには見てしまっている。 ただ6年ぶり?ぐらいに来たので、シャルドゴールに着いた時に、英語と中国語が至る所にあり中国の台頭を当たり前だけど感じた。その後Boltを呼び、ホテルまでの道中に若いドライバーからなんで日本はアメリカと仲よいんだ?あいつらやばいだろうみたいな話をずっとされて、中国となぜ仲が悪いの?みたいなことをピュアに聞かれ、対話の国だなーフランスと思いながら英語で早口でしゃべられて半分ぐらいしかわかんね、と思いながら雑談をした。 パリを選んだ理由としては、日本の国と目指すべき対象というものが近くにあるから中国やアメリカみたいなのがよく語られるが、実はそういうわけではないのではないか?ということを以前から考えていたが、じゃあどこだ?と言ったときにフランスやイギリスみたいな過去覇権国家だったが、今は違う国たちの立ち振る舞いの方が近いのではないか?と思っ

プラハ:神秘と平準化の町

神秘な街プラハ 正直この街は、感動と落胆が入り混ざったことを今回の旅行を通じて一番感じたところだ。 その感動と落胆が入り混ざるのは観光というものが資本主義として取り入れられていった先を感じたからであると思う。一言で言えば観光都市であった。 街自体は中世の街並みを残していて歩いているだけでタイムスリップしたような気持ちになれるぐらいの感覚がある。そのぐらいやはり特別な街であったように思える。そういう意味においては非常に観光として良い面を存分に持っている。一方で自分がひっかかたのは、アムステルダムの後に行ったからなのかもしれないがその土地の匂いというものがあんまりしない感じだった。これだけ個性的なのに生活が見えない。まあ観光都市だから仕方がないのかもしれないが、、 街をあるけばひたすらにお土産屋さんがあったり、みたことあるような同じような商品などがずっといろんなところで売っている景色が広がっており、世界的にも美しいしヨーロッパからも観光客が絶えずくるからなのかもしれないが、なんというかファストな雰囲気が自分の中ではこの街からずっとしていた。 自分が好きそうな、錬金術の研究やゴ