台風の夜に確かめたこと——ANRI人文奨学金の顔合わせ会から
上記の音声を文字起こしし、AIによる編集・執筆したのが下記です。
金曜の夜、台風が近づくなかで人文奨学金の顔合わせ会をひらいた。全員は揃えなかったけれど、会場には5〜6名、オンラインも交えての小さな円卓。応募は約280、二次30、そして10名を採択。数字だけ見れば淡々としたプロセスだが、初めての年にしては手応えが大きい。なにより、その場の熱量にこちらが鼓舞された。
「閉じている」という実感
話を聞いて強く感じたのは、学術コミュニティの“閉じ”だ。縦のラインが強く、家制度の名残もあり、外からは見えにくい村社会の論理が根深い。スタートアップやVCも閉じた世界だとよく言われるが、比べてみるとアカデミアのほうがよほど硬い壁に囲まれている——そんな印象を受けた。若い研究者が、その壁を越えるためにどれだけのエネルギーを払っているか。今回のプロセス全体を通じて、あらためて身にしみた。
なぜ、いま人文なのか
2010年代と2020年代では、社会の空気が明らかに違う。テクノロジーと市場が拡張し続ける一方で、私たちは「人間とは何か」を問い直す局面に立っている。経済の合理性だけでは扱いきれないテーマが、日常のあちこちで顔を出しはじめた。だからこそ「人文」が必要だ、と強く思うようになった——そう言い切りたい気持ちがある。
未来から逆算してみる
少し遠い未来を想像する。AI/AGIが高度化し、ユニバーサル・ベーシック・インカムのような仕組みが整えば、人は生存のためにだけ働かなくてもよくなるかもしれない。そのとき、人文や哲学にふたたび厚い時間が流れ込むのではないか。
平安の貴族文化や、古代の哲学サークルを思い出す。かつて「考える」ための社会的余裕があった時代には、人文学は見事に開花した。現代はもちろん奴隷制のような非人間的な前提を許さない。だからこそ、テクノロジーと制度によって「余裕」を人間の側に取り戻す必要がある。その延長線上で、人文知が再び花開く未来を見たい。
忘れられないひと言
参加者のひとりが、鋭い問いを投げかけてくれた。
「経済やスタートアップの人たちが『人間とは何か』を改めて問わざるを得ない状況は、社会にとって本当に良いことなんでしょうか?」
たしかに、人文の重要性が高まる背景には、どこか不穏な影があるのかもしれない。重要だからこそ問うのだが、そう問わざるを得ない時代の到来を「良い」と言い切れるのか。喜びと不安が同居する感覚が、胸の奥に残った。
これから
選考の総評や、受給者それぞれの研究は追って紹介していく予定だ。初年度から粒ぞろいのテーマが集まった。人文の面白さは、しばしば時間をかけないと伝わらない。だからこそ、私たちは回路を増やしたい。アカデミアの“外”と“中”をゆるやかにつなぐ小さな場を、ていねいに重ねていく。ここから始めよう。