ちいかわはなぜ面白いのか-現実を生きるキャラたち-

エンタメ全般というものは結構好きで、詳しい人ほどではないが流行りモノはミーハー要素が強い人間のため一通り見ようと思って見ている。その中でここ半年ぐらいは結構”ちいかわ”にハマっている。ちいかわを知らない人はいないとはおもうけれども、ぜひまだ見たことがない人は見てほしい。なんかちいさくてかわいいやつが生活しているのを見るTwitter漫画だ。いまめざましTV系列で放送もやっているから、ぜひ見てほしい。

https://twitter.com/ngnchiikawa

IPの力

ビジネス的にもこの熱狂は興味深いなと思っており、IPの力を感じる。ちいかわとコラボするだけでコラボ商品が爆発的に売れている。すみっこぐらし・ぐでだま・りらっくまと過去にはこういった要素から市場規模をつくってきたIP達が日本にはある。さすがにちいかわの市場規模はすぐにはでなかったけれども、たとえばりらっくまなどは400億円ほどの市場規模となっている。


そういった意味においてはちいかわの市場規模というのは急成長しているのではないのだろうか、スタートアップもびっくりな成長率である可能性が高い。IP・コンテンツの力というのは底知れないなと感じる。
また面白いなという点が、男性ファンが多いということである。それは下記で説明する現実感というものが心を掴んでいるからだと思う。

SNS分析ツール「Social Insight」でフォロワー数の内訳を調べてみると、男性が44.1%、女性が55.9%と愛らしいキャラクターながら男性ファンも多い。また、ちいかわと同じような人気キャラのアカウントを調べると、「ぐでたま」は男性が24.5%、女性が75.5%、「ポムポムプリン」は男性が12.8%、女性87.2%、「すみっこぐらし」は男性24.5%、女性75.5%だった。(DIAMONDOSIGNAL引用


今回は、なぜちいかわが面白いと自分が考えているかについて、人に説明していることが多いのだけど改めて言語化しておこうと思っている。その時代のヒットにはその時代のご機嫌であり、抽象化されているものが詰まっているはずだと思っていて、それはアートにもスタートアップにもエンタメにも共通して現れるのではないか?と考えていて、そういったものを意味はないとはおもうけど考えていることを書いておこうという趣旨である。


個人的には異世界転生モノの次のトレンド感があるなと思ってこのちいかわのヒットを捉えている。そのようなものを時系列で自分なり考えているメタな流れについては下記で説明していこうと思う。

自分が考えるこれまでの流れ


2019年なので、約4年前ほどにnoteに投稿したのがこの下記ポストなのだが、どういうふうにコンテンツが世の中に対して反映されてきているのかについて書いてみた。今回はその続きのトレンドであるのではないかと思っている。

ヒットアニメの遷移から考える若者価値観変化〜異世界転生モノは現世界への諦め?〜|ナカジ|note
今回もふわふわ考えていることを整理するために書いてみたことなので、そんなに役に立つとかそういうものではない。 自分はアニメとか漫画が好きなんだけれども、そういったサブカルチャーみたいな文化で流行るものは、その時代の価値観を表しているものではないのだろうかと考えることがある。アニメとかだけでなく、アートなどもそうだとおもう、その時代時代で問題になっていることや人々の意識の変化を繊細に捉えられて、それがよく表現できているものがヒットコンテンツになるのだと思う。だからそれをなんとなく考えてみた。 起業のアイデアを考える上でもなんの変化にのるのかってのは大事な流れではあるかと思う。だいたい
高度経済成長期:ガッツだ!夢をつかめ!(1950-1980年代?)ex)巨人の星など
バブル崩壊から失われた20年初期:いろいろあるけど、まだ私達はやれる!仲間となら頑張れる(1980-2000)ex)ワンピースなど
生まれてから不景気不景気しかきいてないよ時代:まあ努力とかさあるけどさ、現実そんなに甘くない(2000-2010) ex)デスノート、まどマギなど
あれ現実つらい、来世に期待時代(2010-now):まあ現実は置いといて違う世界線で楽しもう ex)異世界転生系

という整理をしてみていた。詳しくは元Noteをぜひご参考(昔の記事で恐縮です。)
そしてそこに新しいテーマ

”来世に期待してても意味はそこまでないこの苦しい現実の中でも自分の好きな生き方を考えよう(2020〜)”

みたいなことがあるのではないかと考えている。あまりに異世界など妄想しすぎても仕方がない、楽しく行きたいけど現実は辛いこともあるでも頑張ろうという少しNegative-Positiveみたいな時代な感はあるのではないかなと。”現実を生きる時代”っていうのが今の時代なのかもしれない。
こういった前提のもとなぜちいかわが受け入れられているのかをもう少し考えてみたいと思う。

ちいかわと資本主義


ここからさきはネタバレ・考察踏まえて書いていくので、そういうコンテンツが苦手、まだどちらの作品も見ていないという方はここで読むのを止めるのをオススメします!(かといって物語の結末的なネタバレなものに触れるつもりはないです)


"現実を生きている"このことが重複になりますが、受け入れられている点として大きいと思います。


ちいかわにストーリーがあるのかというと怪しいけれども、”なんかちいさくてかわいいやつ”が友人たちと、遊んだり、ご飯を食べたり、笑ったり、泣いたり、”討伐したり”、”働いてお金を稼いだり”、”もっと稼ぐために資格勉強したり”、"たまにキメラ化するものもでてくる"話だ。

読んだことがない人にはわからないだろうが、討伐したり、働いたりするのだ。単なるかわいいやつらがかわいくいるだけではない。この現実さが疲れた社会人も虜にしている要素だと思う。(もちろんその中にはスト缶を美味しそうに飲む”くりまんじゅう’”の存在も現実感を更に強化している)


よりここからはYouTubeやTwitterなどの考察動画などを元に書くので、話半分で呼んでほしい。上記で説明したように、ちいかわの世界というのは全くかわいくない可能性がある。


ちいかわワールドには”なんかデカくて強いやつ”がいる。そいつらなどを討伐してお金はもらえたりしている(もちろん草むしりのような仕事もあるが)ちいかわ族というのは謎の鎧さん達に家を与えられて、仕事を与えられ、また稼いだ資本を利用する場所まで与えられている。しかし面白いのが食べ物などは別におそらく買う必要は基本はないのだ。

ちいかわワールドにおいては、食べ物は湧いてでてくる。これを個人的にはベーシックインカムの世界なのではないかと捉えている。そのような中でちいかわたちは、鎧さんとよばれる存在に管理されて生活している(ハチワレ・うさぎなどは正確にはわからないが)アニメでみると可愛いシーンだが、朝はラジオ体操を半ば強制的にやらされて帰っていく。非常に規則正しい、ある種修道院のような感覚を自分は感じた。

”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”でマックス・ウェーバーが説いたカルヴァニズムをどうしても自分は想起してしまう。こうしたものが資本主義・生産性というものを意識しだす土壌をつくっていく。

”天職として労働義務を遂行し、それを通して神の国を求めるひたむきな努力と、ほかならぬ無産階級に対して教会の規律がおのずから強要する厳格な禁欲とが、資本主義的な意味での労働の「生産性」をいかに強く促進せずにいなかったかは全く明瞭であろう。(プロ倫)”

その結果資本の力は強いことを教えてくれる。なにかの欲望というものが渦巻いてその資本の欲望はちいかわたちにも押し寄せる。ハチワレのカメラがほしいもそうだし、食事は湧いて出るのに、もう少し美味しいものが食べたい(焼き肉など)ことなどは漫画の中でも描かれている

なので資本主義という中でのネーション(国家)という概念が、ちいかわ族にとっての、鎧さんであると思っている。うまく資本の力をコントロールしようとしている。ベーシックインカムが浸透した後の人間社会を表していると思ってもいいのかもしれない。

しかし力と交換様式の書評でも書いたように、力というものは意図的にコントロールできるものではない。そういった中でも、こういったコントロールされた中での抑圧への反乱としてキメラ化が起きるのだと思う。

書評:力と交換様式〜交換が世界を動かす力である〜
書評と書くのはおこがましいけれども、あまりにも面白い本だったので少し引用も交えながら書いてみようと思いました。 これまでに記事にしてまでまとめたことがあるのは下記の“THE GREAT CEO WITHIN”だけな気がするけれども、この本も非常に素晴らしかったけれども、どちらかというと実践的なビジネス書としてはベストと思えるぐらい素晴らしかったです。 Great CEO Within2年前ほどにUPSIDERの宮城さんと投資直後くらいにご飯を食べてて、なにか良い本あります?みたいな話になり、それでオススメされたのがこの The Greatest CEO Within という本でした。実はそ…


下記の”あの子”のエピソードのように辛い現実のなかで、ストレスを抱えていく中でキメラ化してしまったものもいる。強ければ労働も草むしりもする必要がない、そのためには力が必要だという考え方である。


ではなぜ鎧さんたちはそんな辛いことを強いるのだろうか。そこはわからない。別に討伐などさせなくても、食事は湧いてでてくるのだから別にいいはずなのに。。
もしかしたらちいかわ族というのは、鎧さんたちの資本主義化していくこと(拡大)へのアンチテーゼなのかもしれない。どちらかというと計画された経済のようなものをちいかわ社会では鎧さんは試しているのかもしれない。

本当はちいかわぞく意外の外の世界はデカくて強いやつしかいない世界(これは実は今の現実の世界なのかもしれない)が広がっており、このちいかわ族が過ごしているエリアだけが特別で、社会実験としてそういった世界があり得るのかを鎧さん達は実験しているのかもしれない。いわゆる脱成長を目指しているのではないか。そしてその成功例が、くりまんじゅうなのではないか・・


と少し妄想が飛んでしまったが、何が言いたいかというと単に可愛いやつが楽しんでいる世界線ではなく、その裏に見えるのは非常に今の現実社会にも起こりうるようなテーマ感である。まさに現実を生きていることがちいかわがウケている理由なのではないかと思う。

ちいかわ=チェンソーマン

これは実はチェンソーマンなどにも当てはまると思う。チェンソーマンの物語にあてはめよう、簡単にいうと悪魔と人間の戦いだ。ただ主人公のデンジはチェンソーマンという悪魔である。そしてデンジはホントに夢や目標などない。正確にいうとあるが、非常に現実的かつ達成可能に見える目標である。美味しいご飯食べれたらハッピーそんな感じだ(本当はちいかわワールドで過ごしたい)
しかしそんな思いをしながらも生きるためには、悪魔と戦わないといけないハメになる。人間(ちいかわ)、公安(鎧さん・マキマさん)、悪魔(なんかデカくて強いやつ)のようなアナロジーをとることができないだろうか(ちょっと強引だけど)


”幸せになりたい、楽して生きていたい”と、チェンソーマンの主題歌で米津玄師が書いたように、ちいかわの作者のナガノさんは「こういう風になって暮らしたい」とちいかわのことを書いている。

しかしこのような欲望を持ちながらも厳しい現実はそれはそれで生きていかなければならない。非常に現実的である。こういったテーマ感はちいかわと繋がるのではないか。
長く書いてしまったが、時代のご機嫌とエンターテイメントっぽいのは好きなテーマなので、ぜひ感想などをシェアして意見をいただけると幸い。