LLM(AI)の発展によりWeb3的・分散社会は到来するかも

ANRIのナカジです。Crypto/Blockchain・AIあたりっていうのはVCとして追わないといけないマストな変化だと思ってます。(VCでなくても、当たり前かもしれませんが、、)特にシード期に投資をするにあたっては、変化が少ない領域に投資していくより、プラスもマイナスにも変化が激しいほうが相性がいいと考えてます。

その中でCryptoやAI(LLM)の分野について投資検討や考えをめぐらせたり、記事を読んだりしてく中で、繋がっていく未来があるなと予感し、それを言語化してみようと思います。予感したのは、”分散化という現象はこのAIとBlockchainという技術によって起こりうるのではないのか”ということです。そのことについて書いてみました。感想などシェアいただけると喜びます!

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要約
中央集権化(Centralized)の弊害と反発が強まってきている
・インターネットサービスも一部の企業によりドミナントになってきたため弊害が多い。(インターネットの思想の自己否定が始まった)
・その結果主権の損失、社会分断を生んできている。それに対して分散していくというテーマ・トレンドがあるがどのように到来するかはわからなかった
・しかしLLM・AIの発展に伴い、AIが中央集権化・アグリゲーションしていくことで分散していくことへの引力が発生し、また生成コストも低下するため、到来する可能性があるのではないかと考えた

なぜ”分散化”が注目されはじめているのか

分散=DecentralizedというのはCryptoの思想の根幹ではある。そもそもBitcoinなどの思想は、Centralized されたものに対するアンチテーゼとして立ち上がってきた経緯がある。

リーマンショックでしられる金融危機の直後の2008年にBitcoinにサトシナカモトが論文を出した。これは明らかに中央集権的な制御を受けないシステムをつくる、”分散化”という概念を受けて発明されたものだ。

このような思想はサイファーパンクの思想が色濃くでているという説がある(諸説ある)このような中央集権化(Centralized)へのアンチテーゼというものがBlockchainを生んだのだと思う。

サイファーパンクは、1980年代から1990年代にかけて、コンピュータやネットワークを利用して自由主義、自己主張、個人のプライバシーの保護などを主張し、当時の社会や政府に反発する文化運動

”インターネット”による”インターネット的な思想”の自己否定が起きている

歴史の流れでいうと中央集権化に動いていた時代が100年ほど続いていた。”力と交換様式”にでもでてきたが、分散している集団(封建制)がネーションという”想像の共同体”によって統一されていったのが近代であった。しかし中央集権化への向かっているとその先に反動はかならず来る。

実際に中央集権に対する弊害が世の中で散見されるようになった。その一例がサブプライムローン問題であったり、監視社会である。中央集権により、個人を監視・コントロールしていくという力に対する反発というものがサイファーパンクのような存在も生み、Blockchainという技術、Crypto/Web3という概念に繋がっていく。

そして特にインターネットという発明が個人間の情報のやりとりを自由にしたことによって、中央集権化する構造・システムに対して変革をもたらした。個人間でのやりとりができやすくなり、趣味嗜好同士で集まりやすくなる。

小学生のときに初めて自分だけのホームページをホームページ・ビルダーでつくったときのなんともいえない感動(自分の城をもった感覚)があった。それは自由さであり、小さいながらもそこにはコミュニティがあったように思える。そうしてインターネットによって分散化が促進されていく、、はずだった。。

しかし実際のところそうはならなかった。(一時的にはそうだったのかもしれないが)リアルからの逃げ場であった自由の香りがするインターネットは特定のサービス・企業がドミナントしてくことで、中央集権化し窮屈になりつつある。”Webサービスは一番便利なものが一強になりやすい”というのはどこかの記事で読んで頭にこびりついているのだが、その現象が起きてしまった結果だ。

ただこの中央集権化というのはユーザーが望んで起きている面はある。スマートフォンの登場やアプリといった便利さ・簡易さを求めていった結果、全情報が集まっている方が便利だという引力のもと、特定のソーシャルネットワークに集まった。

またPFサービスもトラフィックを集めるために、サードパーティーと組んだりしてどんどん人がその企業が提供するソーシャルネットワークを利用することを促進していった。そうした流れが続いたのが2010年だったのだと思う。しかしその結果、中央集権化した数少ない企業によってインターネットそのものがコントロールされているような事態に陥ってしまっているのが現状である。


中央集権化は個人の主権損失・社会分断を生みやすい

良いこととしては、複数のサービスなどを使わなくてもいいという便利さはある。特にスマートフォンのような指先で操作するようなデバイスとの相性は良い。より多くのサービスを開いて見るのはスマートフォンというデバイスには相性が悪い。1つのサービスでできたほうが嬉しい、よってより中央集権化が進んだほうがユーザーとしては便利になる。

一方中央集権化するということはコントロール権・力が一極集中するということがある。そうすることによって、ユーザーとして主権を失っていく感覚が強くなる。それは”便利なようで窮屈なサービス”へと繋がっていくのではないか。

少数の人達によってコントロールされてしまう危険性が強くなる。監視資本主義のような弊害は数多くこの2010年代に散見された。ケンブリッジ・アナリティカの問題であったり、Twitterの意図的な検閲行為であったり一部の人間の意図で操れてしまうような事態が起きている。

これはヨーロッパのGDPRの議論に通じるようにデータに対する主権の問題でもある。”フリーで利用しているものは、あなた自身がお金になっているのだ”っていうのは今の社会に適した言葉であろう。(Netflixの監視資本主義あたりは面白いのでぜひ)

そしてこの主権を失うことが意味するのはイノベーションが生み出せなくなる・新しいものが社会に出づらくなるのではないかと危惧している。中央集権化した世界観においてはボトムアップのものがでずらい。それは官僚化が進んだ大企業などをアナロジーとして想像していただくとわかりやすいかもしれない。

主権なき個人においてはモチベーションの源泉が生みづらい。このあたり中央集権化の問題は、Chris Dixsonの"Why decentralization matters”についての記事が素晴らしいのでそちらを読んでほしい。

またもう一つはインターネットが中央集権化した結果分断化を加速させてしまったということは否めないであろう。ある種インターネット上の中央集権化により、今まで人類が経験をしたことがないレベルでのコミュニティ・居場所ができてしまった。人々が繋がりすぎてしまった。

その結果フィルターバブルによるエコチェンバー現象の中で、お互いに罵詈雑言を言い合う世紀末的なソーシャルプラットフォームが出来上がってしまったのが今なのではないかと思う。ルネ・ジラールが”世の初めから隠されていること”の中で触れているように、暴力の構造がある中で共同体を大きくしすぎた結果がこれであると思う。

しかしサービスが大きくなりすぎて代替のものが出にくくなっているのが現状の課題である。EXITすることができない現状をユーザー側は抱えたまま巨大プラットフォームを使わざるを得ない。しかしそれは前述したように混ざりすぎた・共同体がつながりすぎた中で生きるしかなく、そこにおいて出現するのはあらゆる意味においての暴力である。そしてそれに伴う分断化が加速されていく。


Twitterの創業者であるジャック・ドーシーも2015年当時は下記の画像のようにTwitterの未来を統合にかけていた(人類補完計画みたいだ)

しかし直近のインタビューでは下記のようなことを答えている。

「私の最大の後悔はツイッターが企業になったことだ」1つのプロトコルであるべきで、特定の国家や別の企業に所有されてはならない

このように分散していったものが統合が行き過ぎた結果、主権の損失・社会の分断が生まれていっている。そのような社会のご機嫌だからこそ、Web3的な思想に人が共感を示していくことはわからないでもない(今回の議論でWeb3とはなにかは棚上げ)
そのWeb3のトレンドの中で一つ注目している流れとしてあるのが分散型SNSである。


分散型SNS黎明期。しかしそれだけでは普及には足りない

上記で書いてきたような中央集権に対するアンチテーゼとして分散型SNSというものが世の中に現れてきている。以前からサーバーだけ分散しているMastodonやMisskeyなどはある。またDiscordも分散の定義は難しいがある種のこの流れを受けてあるものだと思う。趣味ベースなものはもう分散・分断は進みつつある。過去のインターネットに回帰していると言っても良いかもしれない。

Misskey、インターネットの香りがする

Blockchainの文脈においては、この分散化をプロトコル単位で開発しながらSNSも出しているところも2022年ほどから多くでてきている。DSCVR,Damus(Nostr), Phaver(Lensprotcol),Farcaster,Bluesky(AT protocol) などである。

そうしてこうしたサービスが社会に広がると、アイデンティティごとのWalletがつくられ、各々の保有・記録しているTokenをもとにデータの主権を取り戻し、またTokenを活用したマーケティングのような産業活動が新しくつくられてくる。データの主権を取り戻すことができるようになる。

またおそらくDIDやAcountAbstractinのような技術については議論と技術発展が進み、主権ある個人というのはブロックチェーンという技術を通じて取り戻すことができる可能性があると思う。

このようにこういった分野の技術投資は進んでいる。しかしそれだけだと足りないと思う。現状はただの使いづらいエコシステムではないかと思う。一度Twitterなどのように中央集権に慣れたユーザーからすると、なぜいちいち分散化したところにいかないといけないのか、それを探すのも面倒だし、また開発側からしてもいちいちそういったものをUXなどを意識して、作成しつづけるの面倒なのではないか。なので個人的には分散型SNSなどは思想としては理解できるが、実現可能性は難しいのではないかと考えていた。

しかしLLM/GenerativeAIの発展を見るに、これはAI技術の発展・普及と共にこの未来がくるのではないかと考えるようになった。


AIによる中央集権化と生成コストの低下によって分散化は到来する

分散化社会・分散SNSについての思想は理解しうるが、どのように普及するのだろうか考えていた。その際にLLM・GenerativeAIの技術やChatGPTのプラグインの構想やそれに関する記事を読んでいた際に、この技術・テクノロジーによって分散化社会が到来するのではないかと予感した。

分散していくことの課題点としては、発見の困難さ・面倒さだと思う。一つのサービスを開けばそこで探せばいいということがきない。”人間はその性善なるも、その性怠惰なり”みたいな言葉が片隅にあるのだが、その指摘通り自発的に探すのは基本的には面倒だ。しかしAI・LLMの技術の発展とともに、そのような課題は解決されるのではないかとおもうようになっていた。

まず今のChatGPT・OpenAIの動きから考えるに、一つの世界・社会の発展の仕方として、巨大プラットフォームサービスや会社でなく、OpenAIなどの作ったLLMによるAIが擬似的巨大プラットフォームサービスになる可能性がある。

今現状は、なにか知りたいときに利用するサービスはいくつかあると思う。例えば全般的な検索をするならGoogle、レストランを検索するならInstagramやYelp、食べログなど、、そこにドミナントなWebサービスが必ずあり、基本的にはそのサービスが独自な情報を得ている。

基本的にはそのサービスを運営している会社は、その会社のサービスでユーザーの行動をすべて完結させていきたいという引力がビジネス上も働くことが多いし正しい。(昨今でいうとイーロン・マスク率いるTwitterがまさにそれ。)

しかし今後ChatGPTのプラグイン構想がより進捗するに従い、すべての情報が特定のAIに集まってくる可能性がある。そうなると世界は変わる。(OpenAIがこれを考えているかはわからないが・・)

そのような世界になったとしたならば、まずはAIに相談してみようという行動に近づいていく可能性が高い。”第一想起をとれ!”というのはこういったビジネスでよくいわれることなのだが、すべての第一想起がAIとなる未来はあるのかもしれない。
いままでGoogleで聞いてたこともTwitterで探していたことも、Instagramで発見しようとしていたことも、基本的にはAIに聞くことから始まる。そしてそのAIのレコメンデーションに従ってユーザーが情報やコミュニティにマッチングすることができる。そのような未来がくるとしたらサービス提供側はどうしたらいいのだろうか。その1つの道が分散化の促進、差別化の深化である。

各種サービスは情報を統合するアグリゲーションの機能は必要がなくなり、より解決すべきスコープは狭く深くなり、またそうすることで解決できる幅は小さくなる。つまり分散が促進されるようになってくるのではなかろうか。

AIによってアグリゲーションが進み、ある意味でのAIの中央集権化が進む。それによってユーザーとしては、情報やコミュニティを探す利便性は上がり、分散していても、適切にマッチングを図れることができるのではないかと考えている(AIのアルゴリズムハック問題などは途中であるかもしれないが)この行き着く先にAGIの未来がある。社会・世界の中心にAGIが存在する世界はあり得る

*このあたりはAttention is All You Need のブログに多大に影響を受けているので、ぜひこちらも参照していただきたい

GenerativeAIによる生成コストの低下

上記でより分散化への引力が強くなるしても、放置しておけばいろいろなサービスなどが出来るわけではない。開発をしていかないといけない。しかし開発者はただでさえ今世界に足りていないといわれているのに、そのような分散化が色々進むことができるのだろうかという疑問はある。これもGenerativeAIというトレンドで解決しうるのではないか。

自分はエンジニアではないので、詳しく理解できなく恐縮だが、GithubのCopilotなどの登場により開発のスピードは全く違ったものになるのではないか。そうして開発がしやすい仕組みが多くできることによって、その分散した目的に沿ったUX/UIの開発が容易になり、その結果分散化がより促進されていく。

またこちらはAIではなく、Blockchain側の技術発展も後押しする。クロスチェーンでのやりとりなど含めて分散型データベースとしての役割が文字通り分散化を促進する。

AIによってレコメンドされたBlockchain上で開発されたサービスは、会員登録の必要性がなくなり、Wallet単位・アドレス単位でどんどん違うサービスにログインすることができ、またアイデンティティを越境することができるようになる。このようなテクノロジーのおかげで分散化は進んでいく可能性がある。

このようにLLM/AIの発展が前提となり、元々Blockchain技術・思想のもつ分散化というベクトルがより強化されることになるのではないかと考えるに至った。AIによる中央集権化というものがキーであると思う。

一方これはAIに力を委ねるというナラティブを構築していっている感じもあり、これが正しい(なにをもって判断軸家は難しいが)かどうかは正直わからない。

だからこそこのAIというものは一企業が持つべきものではないというのはサムアルトマンなどは考えて財団として作っている気がする。上場して資本主義の力学にハマればハマるほど、AIの中央集権化による弊害というのはまた登場してしまうし、少し妄想を飛ばせばマトリックスやターミネーター的な世紀末な未来もあり得ると思う。

ただ現状特定の企業やサービスに中央集権しすぎている、EXITする先がないというのはイノベーションにとって好ましくはないと自分は考えているので、よりこの分散化していく可能性がある未来には期待している。


このテーマを書くにあったって哲学・思想レベルまで昇華するとしたならば"リバタニアリズム"や、"加速主義"・"新反動主義"な要素が多くこの分散という概念を下支えしているように思えたので、そのことについてまで書きたかったです。しかし上手くまとめきれる自信がなかったので省略しましたw またどこかでそういった観点からも考えてみたいなと思ってます。

また”分断が争いを生むのが、無理やりな統合が争いを生むのか”という問いはこの文章を書きながら考えないといけないテーマだとは思いました。現状社会は統合が失敗した結果分断している感覚もあり、ある程度分断を意図的にさせたゆえでのゆるいつながりをどうもたせるかという社会づくりのほうが良かったりするのかと考えたりしましたが、、どうなんでしょう。ぜひ興味ある方はディスカッションさせてください。

ぜひこの文章がなにか思考の補助線やインスピレーションを与えられれば幸いですし、ぜひ感想などをTweetとしたりしていただくと感謝カンゲキです。

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参照

Twitter is Fragmenting

世の初めから隠されていること

The internet wants to be fragmented

Attention is All You Need