雑記

プラハ:神秘と平準化の町

神秘な街プラハ 正直この街は、感動と落胆が入り混ざったことを今回の旅行を通じて一番感じたところだ。 その感動と落胆が入り混ざるのは観光というものが資本主義として取り入れられていった先を感じたからであると思う。一言で言えば観光都市であった。 街自体は中世の街並みを残していて歩いているだけでタイムスリップしたような気持ちになれるぐらいの感覚がある。そのぐらいやはり特別な街であったように思える。そういう意味においては非常に観光として良い面を存分に持っている。一方で自分がひっかかたのは、アムステルダムの後に行ったからなのかもしれないがその土地の匂いというものがあんまりしない感じだった。これだけ個性的なのに生活が見えない。まあ観光都市だから仕方がないのかもしれないが、、 街をあるけばひたすらにお土産屋さんがあったり、みたことあるような同じような商品などがずっといろんなところで売っている景色が広がっており、世界的にも美しいしヨーロッパからも観光客が絶えずくるからなのかもしれないが、なんというかファストな雰囲気が自分の中ではこの街からずっとしていた。 自分が好きそうな、錬金術の研究やゴ

アムステルダム:生活を感じられる街

特にオランダに行きたかった訳ではないけれども、とりあえずトランジットがない国へいきたかったということで、オランダへの直通と、同じ場所から帰りたくないという意味において、パリから帰るというルートだけとって、仕事が忙しく、ほぼ何の下調べもせずについたアムステルダム。 結論から言うと、一番独特の文化というか生活を感じ取れたのはこの国だった。初めてだったこともあるかもしれないが、もう一度訪問したいし、久しぶりに住めるような国・都市だなと感じた。 まず街を見て思うのは、自転車大国であること。コンパクトな街であることがさらにそれに適した交通を産んでいる気がする。元々川を堰き止めて作ったダムを拡張して街ができていることも街の独特さを作る要因なのかもしれない。 東京も昔は水の街だったように、運河が町中に整備されているようなもののも異質性があり、その土地らしさということを感じることができた。昔の国や都市の発展において、こういった物流のための水というのは非常に重要だったんだろうなと思いを馳せる。モータリゼーション以前の時代においてはもっと自然と近かったのかもしれない。 街を歩いていると自転車

スタートアップという記号

先週末に島根に行ってきた。山陰合同銀行さんが中心となって開催していたごうぎんフェスに行ってきた。島根には初上陸だったが、その知らない土地・初めての土地に様々な東京のスタートアップシーンの方々がいるのは新鮮だった。 イベント自体も非常に熱気があるもので、普段あまりイベント系はいかないが、大変行ってよかったイベントだった。まずネーミングが良かった。カンファレンスでも、イベントでもなくフェスとしたことでハードルの下がり方と、参加に対する心持ち・期待値みたいなものが程よく調整されている気がする。 下にいいるおじいちゃん警備の方が、イベント参加者じゃない方に説明しているのを聞いたときに、今日何やらフェスティバルをやってるみたいで・・っていう説明に個人的にはほっこりしたし、すごくネーミングがいいなと思った。フェスとか祭りみたいなのってなんか日本ぽさあるなあと。 イベントにおける強制された偶然性 こういうイベントのたびに思うが、東京で会える人と島根であってどうするねん。というツッコミみたいなのはあると思うが、これは半分正解で半分不正解な気がしている。(もちろんごうぎんさん含めその場でしか会

福島に刻まれる例外状態 ~汚染土問題と民主主義の課題~

先日環境省さんのイベントで福島に行くツアーがあった。それで何年ぶりだろう、2014年ぶりに被災地に行ってきた。10年ちょっとぶりだと思う。そのことについて今回は書いてみたいと思う。なにか示唆があるというよりは大分レポのような結果になってしまう感じはあるので、それはご了承いただければ幸いである。 たまたま誘われていったのだが、被災地などに正直足を運べていなかったのは少し遠いなということもあって、あんまり行けなかったのは反省であった。実際に行ってみて見て感じるものというものは今年は改めて大事にしたいなと思っていて、そのなかで良い機会があったので参加をしてみたのは良かった。 余談だが、AIの時代にあらためてデスクトップリサーチなどはDeepresearchなど含めて代替されていく感じがひしひしと伝わってくる。だからこそ実際に現地・現場にいき、そこで感じる空気感や印象というものはもっと大事にしていかないといけないと思えたので、今回も含めて改めてフットワーク軽く現場にいくというのは、東京にいてこの仕事をしていると正直忘れがちになるが、気をつけないといけないなと今回の訪問をもって改めて思った。

トランプ政権2.0と日本:ヘゲモニー国家が終焉を迎えるとき何が起きるか

昨日、ドナルド・トランプ氏が再びアメリカ大統領に就任しました。初回政権(2017~2021年)のときと比較して、アメリカ国内や世界情勢はさらに流動的になっている。ウクライナ紛争の長期化、世界的インフレ、新興国の台頭、デジタル通貨やAI技術の普及──これらはアメリカの国際的影響力を相対的に弱める要因である。 トランプ政権2.0が誕生した場合、日本を含む世界各国はどのようなインパクトを受けるのか。彼が考える政策をみていると「ヘゲモニー国家の終焉」というのが自分の中では感じたものだ。そういた時代が来るにあたって日本として、また自分がいま職業として働いているベンチャーキャピタル・スタートアップとしてはどういうことが起きるのかについて考えてみる。 ヘゲモニー国家の終焉とは何か まず、「ヘゲモニー国家が終焉を迎える」とはどのような状態なのかを整理してみたい。ヘゲモニー国家とは、単に経済力や軍事力が最強の国を指すのではなく、自由貿易や国際機関への大規模な資金拠出を通じて世界秩序のルールメーカーとして振る舞う国を意味すると考える。アメリカは20世紀後半からその座にあり、各国の繁栄を牽引してきた