特にオランダに行きたかった訳ではないけれども、とりあえずトランジットがない国へいきたかったということで、オランダへの直通と、同じ場所から帰りたくないという意味において、パリから帰るというルートだけとって、仕事が忙しく、ほぼ何の下調べもせずについたアムステルダム。
結論から言うと、一番独特の文化というか生活を感じ取れたのはこの国だった。初めてだったこともあるかもしれないが、もう一度訪問したいし、久しぶりに住めるような国・都市だなと感じた。
まず街を見て思うのは、自転車大国であること。コンパクトな街であることがさらにそれに適した交通を産んでいる気がする。元々川を堰き止めて作ったダムを拡張して街ができていることも街の独特さを作る要因なのかもしれない。
東京も昔は水の街だったように、運河が町中に整備されているようなもののも異質性があり、その土地らしさということを感じることができた。昔の国や都市の発展において、こういった物流のための水というのは非常に重要だったんだろうなと思いを馳せる。モータリゼーション以前の時代においてはもっと自然と近かったのかもしれない。
街を歩いていると自転車
先週末に島根に行ってきた。山陰合同銀行さんが中心となって開催していたごうぎんフェスに行ってきた。島根には初上陸だったが、その知らない土地・初めての土地に様々な東京のスタートアップシーンの方々がいるのは新鮮だった。
イベント自体も非常に熱気があるもので、普段あまりイベント系はいかないが、大変行ってよかったイベントだった。まずネーミングが良かった。カンファレンスでも、イベントでもなくフェスとしたことでハードルの下がり方と、参加に対する心持ち・期待値みたいなものが程よく調整されている気がする。
下にいいるおじいちゃん警備の方が、イベント参加者じゃない方に説明しているのを聞いたときに、今日何やらフェスティバルをやってるみたいで・・っていう説明に個人的にはほっこりしたし、すごくネーミングがいいなと思った。フェスとか祭りみたいなのってなんか日本ぽさあるなあと。
イベントにおける強制された偶然性
こういうイベントのたびに思うが、東京で会える人と島根であってどうするねん。というツッコミみたいなのはあると思うが、これは半分正解で半分不正解な気がしている。(もちろんごうぎんさん含めその場でしか会
島根にイベント参加のついでに、昔からいきたかった足立美術館へ。
日本庭園が美しいという前提知識ぐらいしかなかったが、行って大正解だった。人にオススメできる。
[日本庭園]はまず本当に美しい。絵画のよう。この美術館の創設者の[足立全康]が「庭園もまた人幅の絵画である」と話したように、本当に絵画のような世界が広がっている。横山大観の世界を実現している感じがある。
一つずっと考えていることがあって、観光などにおいて行くところは、端的にいうと昔のお金持ち(王、宗教など)が住んでいたり関わっていたりすることが多い。しかし今の現代において、お金持ちがそういった将来の観光名所を作れている感覚はない。その点においてこの足立美術館の創設者の足立全康は60歳でこの美術館を作って、自分のセンスであり憧れている世界観を全て注ぎ込んでいる点において、将来の観光資源を自ら作った感覚がある。
これからの時代に成功していく人たちはどこかでこういう将来の観光名所を作るみたいな感じで、取り組む人が増えたらいいなと勝手には思っている
今回は日々ChatGPTなどのようなプラットフォームAIサービスとあえてここで呼ぶと、そういったサービスをほぼ毎日利用しながら生活しながら、起業テーマについて考えていたことについて書いてみたいと思う。そのきっかけは、ChatGPTのようなプラットフォームAIはいわば、エクセル・スプレッドシートみたいだなということを考えたからである。そのようなアナロジーで物事を見ることによって、起業テーマの選定に活かせることができないかとざっくり考えたことを言語化してみる。
ChatGPT≒スプレッドシート説
生成系AIの素晴らしさはもう何度もいろんな記事で紹介されているので、ほとんど省略するがさまざまん生活の仕方を変えていっている。自分がVCになって7年ぐらい経つがこれまでで一番の変化を正直感じている。期待度で言うとweb3も相当なものではあったが、実際に自分の日々の全ての生活においての変化という意味においてはやはり今回の変化は自分の中では相応無ことだなと思う。
余談だけれども、1週間ちょっとほど旅をしようと思って、ほとんど予定を決めずにヨーロッパに久しぶりに行ったのだけれども、ChatGPT
海外に行く飛行機の中で読み終わった。海外に行くタイミングで読もうと思っていてとっていた本。
"観光"ということに対して、自分も考えたいと思っていたところであったし、訂正可能性の哲学という後の本を先に読んでしまったため、早めにこの前のこの作品も読んで置きたいなと思えた。
2020年代に入り、突き進んできたグローバリゼーションからの揺り戻しを感じる。それはトランプの当選もそうだし、戦争のような形でもそうだし、グローバルフラットの世界から変わっていく気配を感じる。しかしそれは自国中心主義、極端な共同体主義をつきすすめていくのは、結果第二次世界大戦などと同じような気配が漂う気がしている。
しかしそんな中でも観光というのはまだできやすい。その観光という意味や、観光産業というものが今後どのようになっていくのかというのをうっすら考えていて、そもそもタイトルで観光客の哲学とあったため購入はしていたが予想を超えて今の自分にとって読むべき本だったなと思う。
観光客という存在が中途半端で不安定で、ふわふわしていることがこの時代においては逆に考えるべき重要なポイントだということが一貫して伝えたい趣旨であ